1967年、東京都北区赤羽生まれ。小学生の時にスーパーカーブームが到来。F1が大好きになり、F1の車を作る技術者になることを決意。
ホンダに就職することを目標に、中学2年生の時に工業高校の推薦をもらう。
進学後、バイクのパーツを購入する資金を得るために飲食店でアルバイトを始める。
既製品を一切使わずすべて手作りだったその店で、料理作りや接客の面白さに目覚め、料理にのめり込むことに。
ドラマ「天皇の料理番」の大ファンで、その影響で宮中晩餐会など世界の桧舞台で食されるフランス料理をやりたいと思うようになる。
1985年ホテルメトロポリタン入社。
ここで、フレンチはもとより、和食、洋食、おつまみ、スイーツなどありとあらゆるジャンルを経験。
調理技術はもちろん、料理に対する心構えや接客の基本など、料理人に必要な基礎を、優秀な先輩たちに叩き込まれる。
特にホテルオークラ出身で当時の日本フレンチの第一人者だった浅野シェフより指導を受け、仕事ぶりにふれることで、どんどんフレンチにのめり込んでいく。
1989年ホテルメトロポリタンを退社し、フランスに渡る。
ボルドー・ロワイヨンの「ラミロテ」を皮切りに、ブレスの「オーベルジュ・ブレッサン」、パリの「ラ・プティット・クール」などで研鑽を積む。
「ラ・プティット・クール」では、料理顧問をしていた「オテル・ド・クリヨン」のジャンポール・ボナン氏に、マンツーマンでソースの作り方を徹底的に仕込まれ、フランス人トップシェフにフランス料理の真髄を教わるという貴重な経験を重ねる。
肉、魚介、ジビエ、チーズなどの名産地にあるレストランで、それぞれの料理方法も学び、1991年帰国。
赤坂の「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」副料理長に。日比谷「南部邸」料理長を経て、
2002年上野「ブラッスリー・レカン」オープンに伴い料理長に就任。
2007年「銀座レカン」料理長。
2015年銀座レカン・レカングループ総料理長。
2018年、自身の店「レストラン ラフィナージュ」をオープン。
素材と向き合い、確かな王道フレンチの技を駆使し、厚みがあり重層的ながらも軽やかな料理に仕立て上げる。
“美味しかったは当たり前。楽しかったと言ってもらえるおもてなし”を提供し、予約困難な人気店に。